早良区脇山にある主基齋田(すきさいでん)跡の、曼殊沙華。 主基齋田は、昭和天皇が、1928(昭和3)年11月の即位の大礼後の大嘗祭(だいじょうさい)で、使われるお米を栽培していました。 これは亀甲占いで、奉納米を作る農地として、福岡が主基殿(すきでん)、滋賀が、悠紀殿(ゆきでん)に選ばれました。 これを選ばれるのは、とても名誉でしたが、福岡県あげての大仕事です。太田主(おおたぬし)は耕作責任者ですが、人格者であることも重要です。そして、衣装や道具以外にも全国からくるおもてなし代も、太田主の自腹であり、出費がすごいです。 稲作作業の前には、香椎、箱崎、宗像から神官が呼ばれ、地鎮祭をします。 出植え祭には、8人の少女が雅楽と一緒に奉納舞をします。農具以外は、すべて新調され、作業する前に更衣室で昔ながらの式服に着替えて、お祓いを受け、作業します。田んぼを耕作の糸島産黒毛和牛も、フンが田んぼに落ちないように、お尻の下に長い柄付きの桶でフンをキャッチする専任の排泄物係がいました。24時間体制で田んぼを観測。異変に備えます。主基齋田の周りには、虫と鳥をおびき寄せる、おとりの田んぼも作られました。虫取りは手作業です。おとり田んぼに誘蛾灯も設置され24万以上の蛾を捕まえました。その間も全国からの毎日の見物客も絶えませんでした。 実りの秋に刈り取られた稲は、精米、精白され、絹布で磨き上げられました。そして、純白の帽子とマスクとエプロンを身に着けた、女性奉仕者に、1粒1粒えり分けられました。粒よりの450㎏のお米は、12個の白木の空ビつに収められ、当時の福岡県知事も付き添い、主基齋田から早良街道を通り、西新駅に運ばれました。沿道の見物客は、60万人だったといいます。奉納米は特別列車で京都に送られました。 今年で主基齋田90周年です。今年10月の早良区脇山小では、特別な催し物があります。

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